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子供のころの勉強とかの話

   

子供の教育を考える時に、自分自身の子供の時はどうだったかなと思いだすことが増えました。

忘れないうちに、僕が子供の時の勉強とかの話をざっと書き出しておこうと思います。自慢っぽい話が含まれます、ご容赦ください。そっとアップしておきます。

 

幼少期

やっててよかった、公文式

物心ついたときには、姉について行って公文に通っていました。

正確な年齢は覚えていませんが、文字を書いたり数字を数えられるようになる前だったと思います。その頃はジュニア公文みたいな枠はなかったと思いますが、迷路をとにかくたくさんやっていました。

そこからの進捗が早く、小学校に入る前くらいに、県で一番進んでいるだか何かで、大きなトロフィーをもらいました。最終的には連立二次方程式くらいまではやってた気がします。

とにかくたくさん問題を解くという、シンプルで原始的な教育法ですが、基礎学力はこれで身についたんだろうなと思っています。

 

リビングで勉強

公文の宿題は、リビングの机で、母の隣でやっていました。

うちの家庭は、ごく平均的な中流家庭ですが、その中では母は教育熱心な方だったと思います。感謝。

と言っても、公文の宿題をやるくらいだったはずですが。

 

その他の習い事

書き方とスイミングスクールに行ってました。

書き方を習っていたはずなのに、字は汚い。

 

幼稚園か保育園か忘れましたが、どうしても行きたくないと反発し、途中で辞めたことがありました。面倒な子供だったのかもしれません。

あと負けず嫌いだったようです。父から将棋を教わったのですが、負けそうになると盤面を崩すので、叔父から「お前とはもう将棋は指さん」と怒られた記憶があります。

 

小学校時代

公文をさぼる

小学校は2回転校しました。

小学3年で転校して、そこの友達とは秘密基地を作ったり結構アクティブに遊んでいました。その中で公文に行く時間が嫌になって、「公文に行ってきます」と言ってさぼるというのを繰り返していたら、当然ばれました。

めちゃくちゃ怒られるだろうなと思ったら、「行きたくないのか?じゃあやめるか?」と怒られずにすんなり辞めることになって、意外だったのを覚えています。教育熱心ではあるけど、そういえば強制された記憶はあんまりありませんでした。

 

学校ではちょっと浮く

公文で非常に進んでいたので、当然小学校の授業はちょっと退屈だったりします。

そんなにでしゃばったつもりはないのですが、学校の先生からは少し厭われていた気がします。「先に正解を言われると面白くないよね」とか「安高君に近づくと屁理屈言われちゃうよ」とか言われて悲しかった記憶が。

友達とは仲良かったですけどね。あと5,6年の先生は好きでした。

 

日本一の読書量

家庭では、夜の21時ごろにコーヒーを入れて、リビングで読書をする時間がありました。

たまたま両親が読書好きだったので、僕もそこに交じって両親の本を借りて読んでいました。たしか姉はそこに居なかったので、これも強制されたわけではなく、両親の習慣に僕が馴染んだというだけの話だと思いますが、今考えるとこれはめちゃくちゃ良かったですね。

主に母の本棚から物色していたので、当時の流行りの推理小説、内田康夫とか乃南アサとか岡島二人とか宮部みゆきとか東野圭吾とかを、ずっと読んでいました。

読みだしたら止まらずに、読み終わるまでは寝られなかったので、一日に1,2冊のペースで読みまくっていて、当時の読書量は相当なものでした。

おかげで今でも、文字を読むスピードは異常に早いです。

 

テレビとゲーム

父親の方針で、夜にテレビを見られる時間は限られていました。

ゲームも、できるのは夕方までだけだったような気がします。それでも幼少期からゲーム機はあったので、ファミコン、スーファミ、セガドライブ、PSと一通りやりこみはしました。

 

中学受験と塾

中学受験をすることにして、6年生から塾に通いました。

受験を決めたのは僕です。姉は地元の公立に行ったので、親もそのつもりだったのでしょうが、地元のヤンキー校に行きたくないという理由で自分から受験したいと言い出しました。受験は問題なくいけるだろうと思っていたのもぶっちゃけあります。

全教研という塾に行きました。中学受験する子は、3,4年生から塾に通うことが多いので、6年生からだと上のクラスには入れませんでした。上のクラスが九州で上位のラサールや久留米附設を狙うクラスで、僕が入ったのはその下の層のクラスです。

ただ、そのクラスの中では圧倒的に成績が良かったので、例外的に久留米附設を受験して合格しました。塾の人からは驚かれていました。

文字を読む速さと理解するスピード、計算や情報処理の速度が速かったと思います。公文と読書のおかげ。

田舎だったこともあり、中学で受験したのは同級生で2,3人だけでした。

 

中高時代

勉強しない

中高は寮に入ることになり、両親のもとから離れました。

進学校に入ってびっくりしたのは、周りの人たちがちゃんと勉強することです。夜の学習時間には机に向かって勉強するし、試験前になると放課後も図書館で勉強したりしていました。

僕は勉強をする習慣と、勉強をする価値観ができていなかったのです。そういえば公文の宿題は母が隣にいてやっていたし、塾に通うのも遊びの一環くらいの気持ちで、それ以外で家で自分で勉強をするという習慣はありませんでした。

これは反省点として、自分の子供には改善したいところですね。

なんで皆そんなに勉強するんだろうと周りを見ていましたが、当然、最初の定期試験は150人中140位くらいでした。
それでも特段の危機感は覚えず、別に勉強すれば点数は取れるしなぁと漠然と思っていました。

 

圧倒的な生活点数

寮生活では、生活態度が評価されて、生活点数というものがつきます。この点数が高いと、部屋替えなどで有利になるというものです。部屋が綺麗だったりするとプラスになり、逆に汚かったり遅刻したり生活態度を注意されるとマイナスになります。

僕はと言えば、2位に圧倒的な差をつけての最下位でした。

布団の畳み方にルール(敷布団は三つ折り、掛布団は四つ折りみたいな)があるのですが、敷布団と掛布団をまとめて畳む方が効率的だと思い、何度注意されてもその畳み方を貫きました。学習時間に机に向かっているのがしんどく、ベッドでの読書を貫きました。

自分が意味が無いと思うことはやりたくないし、やりたいことだけをやりたいという子供でした。社会不適合者ですね。ゲームセンターに通って遅刻も繰り返し、授業もちょいちょいさぼって抜け出していました。

 

赤点と満点

授業も、楽しかったり意味があると思うもの以外はほとんど聞いていませんでした。

世界史で100点満点中の8点を取ったのが自己最低記録です。地理や日本史も大体赤点。現国・古文・漢文で全て赤点を取るという記録もなしとげました。

数学と英語は意味があるなと思って、授業はちゃんと聞いていました。赤点と満点がいりまじり、なんとか進級できるぎりぎりでした。

 

物理との出会い

物理との出会いは、中高での勉強を好きになっていくきっかけでもあります。

最初は物理の授業も、全く聞いていませんでした。本を読んだり将棋をしたり。

ただ、定期試験で問題を解くときにはじめて物理と向き合って、知識が全くないながらも、問題文から逆算するとこういう法則があるのではないか、と推測しながら問題を解いて、満点を獲得しました。

ちゃんと考えれば知識が無くても解ける学問なんだと、その瞬間から物理が好きになりました。

 

勉強仲間と大学への数学

高校になってから、徐々に勉強をするようになっていきます。そのきっかけの一つが「大学への数学」という雑誌でした。

なかなかにレベルが高い参考書のような雑誌で、難問がいくつも掲載されています。それを友達が解きあっているので、その輪の中に加わっていった格好です。

そうして、はじめて勉強仲間みたいなのができて、数学の難しい問題を解きあっていきました。友達の環境に影響されるというのはまさしくその通りです。感謝。

 

成績上位へ

そんなこんなで、勉強をする習慣がついてきて、成績も上位へと躍り出ました。

物理と数学という絶対的な得意科目と、英語はちゃんと授業を聞いてきた積み重ね、あとは誤魔化し誤魔化しで、成績上位です。

東大模試もだいたいA判定でした。物理は東大模試で全国一位もとりました。

不思議なもので、成績が上位になると周りからの見られ方も少し変わります。子供心に、なるほどそんなもんかと思った記憶があります。

 

大学受験

志望校は、成績下位のころからすべて「東大」と答えていました。受験には絶対的な自信があったのです。

少しだけ、京大の総合人間を受けるか悩みましたが、やはり東大にしました。海外とかは当時の自分の選択肢にはありませんでした。

ずぼらな性格のせいで、受験自体はトラブル続きでした。センター試験では時計を忘れて、ずっとひやひやしながら問題を解いていました。二次試験はまず願書の記載に不備があって、東大から電話がかかってきてひやひや。当日は写真をはり忘れて、現地で写真を用意していて試験に遅刻。走って教室に入ったので興奮して鼻血を出して途中退室。

そんなこんなで、手ごたえはそれなりにあったのですが、実は前期試験は不合格。隣で結果を見ていた母に怒られて、「いや、怒らんでもいいやん」と悲しんだことを覚えています。

そこから後期試験の準備をするのですが、前期試験が終わったタイミングでほとんどの参考書を捨てていたので(寮から持って帰るのが大変だから)、特にできることもなく。

ホテルと飛行機を手配した足で、後期試験の過去問を買いに行きました。赤本とか青本とかありますが、僕は青本派(駿台)です。
そういえば夏休みの2週間だけ、駿台の講義を受けました。あれは感動的に面白かった。

 

ただ、行きの飛行機の中で過去問はすべて読み終わったので、前日前々日は東京観光をしていました。
当時の僕の勉強法は、問題を解くことはほとんどなく、ただ読むというものでした。過去問も、問題を読んで、たぶんこう解くんだろうなと思って、解答を読んでなるほどなるほどと。そんな勉強法なので、机に向かわずベッドの中で済ませて、だから生活点数が悪かったというのもあります。

後期試験はさすがの良問で、物理と数学を組み合わせたような、僕の大好物の問題がでます。電場と重力の影響を受けた粒子の軌道を説明せよみたいな問題で、軌道の形を説明すればいいのですが、時間軸を一つとり空間を二次元に圧縮した3次元時空間のグラフで動きを描くというへんてこな回答をしたのですが、さすが東大の心の広さで採点してもらって、無事に合格しました。

 

大学時代

ぎりぎり足らない単位

東大では、1,2年生が共通の教育課程で、その間の平均点でもって行きたい学部に行けるという進路振替制度があります。

例えば必要な単位が100だとすると、持っている単位が150の場合、そのうち点数が高い上位100の単位が抽出されて、平均点が出されます。なので、多くの人はたくさんの単位を取得して平均点を上げることを目指します。

ただ僕にはそれが無駄に見えたので(今は考えが違いますよ。せっかくの大学だから、いろんな授業を受けたらいいのにね)、最低限の単位だけを申請していました。

その結果、2年生の時に申請したものが、僕の数え間違えで、全ての単位を取得しても進級できない内容になってしまっていて、教務課からの呼び出しをくらいました。掲示板で、学籍番号ではなく氏名を公開して呼び出しを受けるのは珍しいので、すぐに友達が教えてくれました。

そして教務課の恩情で出し直しをさせてもらって、一科目だけ加えたやはりギリギリで申請ができました。

 

サークルとバイトと勉強

大学1年のときはサークルに、2年になってからバイトにあけくれていました。

特に2年生の一時期は必修の実験講義のみ、たまにはそれすらも欠席する時期も。

それでも数学や物理、科学哲学などの講義は感動的に面白いものもありました。結果として、単位数はギリギリながら、平均点はかなり高得点になりました。

 

進路振替

行きたいところはどこでもいけるだけの平均点になったので、理学部物理か航空宇宙かで悩みました。どちらもロマンのある分野。

悩んだ結果、よりロマンを感じ、そして自分の物理学に絶対的な自信を持っていて、さらには単純に必要な点数が一番高い学科だったこともあり(優秀な人が集まってくるはず)、物理の方を選択しました。

 

初めての挫折

物理学科に入ってからが、僕の生れてはじめての(そして今のところは最後の)挫折です。

これまで僕は自分の物理や数学の才能に自信をもっていました。ぶっちゃけると天才なんだろうと。

しかし物理学科に入ってから、僕より上の人というのはごろごろいるんだなと初めて気づきました。

いやいや、そんな馬鹿な。勉強が足りないだけだ(実際足りてはなかった)と思い、3年生と4年生の半ばまではとてもとても勉強しました。
それでも、テストの点数は平均点くらい。

そうか、僕はそこそこの才能はあるけど、本当の天才ってわけじゃないんだなと、苦悩の末に、認識しました。
正直、だいぶ苦悩しました。

※才能論に関しては、渡辺明九段の言葉がとても共感できます。物理学みたいなしっかり定まった領域で極まった場所では、才能はとても重要。(100M走とかスポーツの領域もそう。ビジネスとか特に新規事業とか、形が定まってない領域は別です)

そういえばこの時期にゲーム断ちをします。その後15年くらいはゲームを辞めてました。

 

社会人へ

ということで、仕方ないので自分が一番になれる領域を探して、ほとんどの人が院にまで進学する物理学科の中、例外的に学部卒で特許庁に入ることにしました。

あそこで切り替えることができて、その後も模索と探求を続けることができたのは良かった。

この辺からの話は、色んなインタビューで答えたりしているので、この記事はここでおしまい。

 

振り返って、まとめ。

子供には、公文などで絶対的な得意科目を作らせることと、読書習慣を持たせることが大事。どちらも強制してはだめ。

あとは一緒に暮らしている間に、自分で勉強をする習慣づけと、勉強をすることの大事さを伝えられるといいですね。これは僕が出来てなかったこと。

友達などの環境もとても大事。これまでの友達に感謝。

 

 

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