発明の要旨と技術的範囲認定のダブルスタンダード リパーゼ判決と特許法70条2項の関係
特許発明は、特許請求の範囲の記載によって定められるものです(36条)。しかし、その認定において「明細書の記載」を参酌すべきかどうかは、場面によっても変わりますし、人によって異なる意見を持っているようです。
整理として、私の見解をまとめておきます。(多分、通説とそんなにズレていないはず。)
特許発明認定の場面
まず、特許発明を認定する場面には、①権利化場面と②侵害場面の2つがあります。
①権利化場面は、特許庁における審査はもちろん、審判での拒絶査定不服審判や無効審判、これらを受けた裁判所での審決等取消訴訟と、侵害訴訟における特許無効の抗弁(104条の3)が含まれます。
特許発明の新規性や進歩性を判断するに当たって、「発明の要旨」が認定されます。
②侵害場面は、裁判所における侵害訴訟の場面が該当します。
イ号物品が特許権を侵害しているかを判断するに当たって、権利範囲として、「発明の技術的範囲」が認定されます。
そして、この2つの場面によって、明細書の記載を参酌すべきかどうかの原則・例外の関係は異なります。
権利化場面:発明の要旨の認定
まず、権利化の場面においては「発明の要旨」を認定するのですが、この場合は原則として特許請求の範囲の記載のみをもって認定し、明細書の記載は参酌しません。
例外として、特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解できない場合や、誤記であることが明らかな場合など特段の事情があるときに、明細書の記載を参酌することが許されます。(リパーゼ判決)
侵害場面:発明の技術的範囲の認定
侵害場面における「発明の技術的範囲」は、特許請求の範囲の記載に基づいて定め、その場合は明細書の記載を考慮して解釈するのが原則です。(特許法70条1項、2項)
リパーゼ判決と70条法改正の経緯
最判平成3年3月8日 [リパーゼ事件]は、拒絶審決取消訴訟を原審とする最高裁判決で、発明の要旨を認定する際には特段の事情がない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきである(明細書における発明の詳細な説明の参酌は不要である)旨が判事された事件です。
この事件は権利化場面における「発明の要旨」の認定の考え方を示したものですが、この判決が出た後これが侵害場面における「発明の技術的範囲」の認定においても適用されるのか、と疑問が生じていました。
そこで70条を法改正して、「発明の要旨」の認定はリパーゼ判決の通りだけど、「発明の技術的範囲」の認定においては明細書の記載を考慮しますよ、ということを明確化しました(70条2項)。
つまり、70条2項の法改正は、リパーゼ判決を否定するものではなく、リパーゼ判決の射程を「発明の要旨」の認定に限定し、侵害場面における「技術的範囲」の認定については従来通りに明細書の規定を参酌するということを明確化したものです。
リパーゼ判決の射程
上述の通りの経緯がありますので、リパーゼ判決の射程は、あくまでも権利化場面の「発明の要旨」の認定までです。
侵害場面で「技術的範囲」を認定するに当たって、リパーゼ判決の考え方を適用するのは間違っているように思います。
ダブルスタンダードの適否
上記の考えが正しいとすると(多分、この通りの考えで実務判断がされていると思いますが)、同じ特許発明の認定に際して、権利化場面と侵害場面とで異なる考え方が適用されることになります。
権利化場面では、クレームのみに基づいて広く発明の要旨認定をして、権利者に厳しい新規性・進歩性判断がされ、
侵害場面では、明細書の記載が参酌されて狭い技術的範囲認定をして、権利範囲の属否についてもやはり権利者に厳しいジャッジがされることになります。
このようなダブルスタンダードが適切なことなのか否か、様々な意見があります。
私見ですが、このダブルスタンダードはある程度肯定しても良い類のものだと考えています。
権利化場面においては、対世効のある特許権を定めるものであり、予測できない広い範囲の権利を認めるのは適切ではなく、権利者に厳しめの判断をすることは不適切ではない。
一方の侵害場面においては、個別の判断事例であり、より適切な侵害判断をするために明細書の記載を参酌するのは原則であろうと思います。
例えば、商標の権利化判断においては、同じ権利化場面であっても特許庁で審査する段階と審決取消訴訟を裁判所が判断する段階とで、使用実績を参酌するか否かで判断が異なると言われています。
この場合は、同じ場面で段階が異なるダブルスタンダードであり、不適切なものだと思いますが、
上記の特許の場合だと、そもそも場面が異なるので、異なる判断手法でも直ちに不適切とは言えないかなという感覚です。
クレーム解釈を統一すべきか リパーゼ判決の適否と今後の動向
リパーゼ判決に照らせば、発明の要旨を認定するに当たって、原則的にはクレームのみに基づき、例外として、特段の事情があるときに、明細書の記載が参酌されることになります。
しかし、ここでいう特段の事情が認められれば、明細書の記載を参酌することになり、70条2項による技術的範囲の認定と同じ考え方になることになります。
104条の3による無効の抗弁が侵害訴訟と同時に判断されることを考えれば、クレーム解釈はやはり統一して考えるのが妥当という点もあり、最近の判決では発明の要旨認定においても明細書の記載が参酌されることが多いようです。
例外的場合であるはずの「特段の事情がある場合」が認められる件数があまりにも多くなっており、リパーゼ判決は先例的価値がなくなってきているという主張もあるようです。
また飯村判事自身は、リパーゼ判決について、「発明の技術内容の把握をどのようにすべきかについて、一般論として述べているが、一般論で述べられた判事部分を形式的に適用すると、具体的な事例において不都合な結論を導く場合が多いことに照らせば、リパーゼ最高裁判決の判事部分は、広い射程を持つものと理解すべきではなく、むしろ事例判断として理解するのが妥当」である旨述べているようです。
この辺の最近の見解は、時井真氏の論文「クレイム解釈の現況 -限定解釈の採否を中心に-」(知的財産法政策学研究Vol40)に詳しいです。
一般論としての、上述のような見解(ダブルスタンダード)は否定されるものではありませんが、個別事例の判断としては、クレーム解釈は統一される方向に歩み寄っているのかもしれません。
何かおかしな事を言っていたら、ご指摘ください。
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Comment
成田です。こんにちは。
リパーゼ判決、特許事務所勤務時代にボスに引き合いに出されていつも叱られていました。最近、自社の特許出願をまた始めたので、昔を思い返していたところです。
出願人の立場からすると、権利化段階と権利行使段階のいずれについても、「1.権利範囲は明細書全体から決まる。2.クレームによって権利範囲が広がることはない。3.その一方で、クレームでクレームでヘマしたら即負け」という理解で全て説明がつくし、実務的にはそうした姿勢で臨めばOKだと思います。(すなわち、出願人にとっては、クレームは厄介で不利なものでしかない)
◎権利化段階
出願人「クレームの『リパーゼ』はRリパーゼのことです。明細書にはRリパーゼのことしか書いてないのだから、明細書を参酌すればRリパーゼのことだって理解できるでしょ」
→「クレームでヘマしたら即負け」の法則にあてはめると、負け。
◎権利行使段階
その1
権利者「クレームに『リパーゼ』って書いてあるのだから、明細書がRリパーゼの話ばっかりでも、リパーゼ全部が権利範囲だ」
→「クレームで権利範囲が広がることはない」の法則にあてはめると、負け
その2
権利者「クレームに『Rリパーゼα』って書いてあるけど、明細書をみればRリパーゼ全般について効果があることは明らかだ。だからRリパーゼβも権利範囲だ」
→「クレームでヘマしたら即負け」の法則からすると、やっぱり負け
結局は、「対世効がある協力な権利を与えるのだから、出願人がちゃんとやれよ」ということだと思います。出願人に酷すぎるとかプロパテント政策に反するとか様々な議論があるかと思いますが、個人的には、公開代償説からしても妥当かなと思っています。
最近、自社の明細書をまた書いているので、特許実務に戻って少し懐かしい感覚です(笑)
安高さんとも特許実務の話をしたいですね。